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PostHeaderIcon Armador(アルマドール)の不在

前回に書いたアドリアーノのレギュラー要求については、セレソンに良い波風が立つと人々は期待している。しかし、タレント豊富だと謳われるセレソンにもタレントが不足していると指摘するのは、やはり現在ブラジル最高のサッカー批評家トスタン氏である。


JB紙のコラムでトスタンはエクアドル戦で敗北したあと、鋭くセレソンの盲点を突いた「たとえアドリアーノが3トップに入ろうが今のフォーメーションは変わらない。セレソン、そしてブラジル・サッカーには典型的なアルマドール(中盤で攻守にわたりゲームを組み立てる選手)がいない。アルマドールは自陣で守備に加わり、そこから攻撃に転じてトップの3人に近寄りボールを供給する。全盛期のジダンがそれだ。このような選手がいまのセレソンには欠けている。いまのところジュニーニョ・ペルナンブカーノがそれに一番近い。幸いなのは他の代表チームにも目立つアルマドールがいないことだ」。
ブラジルは伝統的にアタッキング・ミッドフィルダー(中盤から前のスペースで動き回り攻撃を得意とする)にスーパースターがいる。ペレ、トスタン本人、リバウドそしてカカとロナウジーニョである。トスタンが言うには彼等はアルマドールではない。典型的なアルマドールだったのが、ジェルソンやファウカン(ボランチ・アルマドール)そしてジーコ(非常に攻撃的であるが)と意外と数少ない。
様々な見解があるが、ブラジルが典型的なアルマドールのポジションを廃止したのは94年のアメリカW杯でダブル・ボランチを採用したときだったといえる。当時、大会中にまで及んだ議論が中盤のクラッキ、ライー(Rai、ハイー)をどのように使うかだった。結局、ライーはグループ・リーグ3戦に参加したのち、トーナメント・フェーズからボランチ役に徹したマジーニョにレギュラーの座を奪われてしまう。これはブラジル国内では一つの大きな話題となった。その時の監督が今のパヘイラ監督である。
さらにいえば、ブラジルにはジーコ以来典型的な10番がいない。誰もそのことには触れたがらないが、トスタンはあえて提言したかったのだろう。もちろん他国に絶対的な10番が存在するかというと、ここ10年はフランスのジダンだけしか浮かんでこない。バッジオはブラジル人クラッキと同様、アタッキング・ミッドフィルダーであり、典型的なアルマドールとはいえない。
ここ10年ぐらいからサッカーを見始めた若い人は恐らくアルマドールとはどのような存在か理解に苦しむだろう。それはトスタンが言うように今のサッカーが中盤を通さず、守備と攻撃のプレーヤーに分離されてしまい、“あとはひたすら走る”ことに集約されてしまったからだろう。20?30年前のテープを観れば、中盤にたたずむ味わいのあるプレーヤーがいたことがわかる。フッチ・ブログのお勧めはなんといっても70年メキシコ杯のセレソンだ。
ブラジル・サッカーにも人材が足りない部分があるということだ。アルマドールの復権はもうありえないのか。
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