ペレとマラドーナ、歴史的なヘッドパス
昨日、ペレとマラドーナがアルゼンチンのバラエティ番組で対話した。
詳細記事:http://www.nikkansports.com/ns/soccer/p-sc-tp0-050813-0008.html
サッカー史の頂点に輝く二人のプレーヤーは仲良く会話し、ちょっぴり相手を挑発しあいながらも、互いの健在ぶりを讃え合った。
会話の後は、ペレがギターを弾いて歌い、マラドーナはタンゴをアカペラで歌った(マラドーナ、歌上手い!)。
そして感動的な瞬間、マラドーナがボールを手に取り、ペレと向かい合い、二人でヘッドパスを交換した。
数分に及んだパス交換では、二人とも年齢を感じさせない完璧なタッチで観衆を沸かせた。
「ボールは嬉しそうに二人の神の頭の間を行ったり来たりしていた」
この番組のあと、ブラジルのネット掲示板でペレ派とマラドーナ派のナンバー1論争が再度勃発した。世界中で、日本でも繰り返し行われている議論だ。
あくまでもフッチブログの見解だが、ペレは50年代後半から70年代前半、マラドーナは80年代と90年代前半に活躍しているわけで、後者の方が支持層は若く映像記録も多く残っているため有利だ。FIFAサイトで行われたアンケートでもマラドーナが圧倒的な数字で勝利した。マラドーナ派の人達はマラドーナをテレビの生中継で観て感動した人達で占められるが、彼等の殆どは同じように生でペレを観たわけではない(フッチブログもそうだが)。
ただマラドーナ自身、少年のころペレのプレーを観て感動しているのである。番組のあと、記者会見でマラドーナは「ペレの母は、ペレが世界一だと言っていた、でもぼくのお母さんは、ボクが世界一だと言ったよ」と語って周囲を笑わせていた。ペレもインタビューで「60年代は私はディ・ステファノと比べられていた、いずれテベスと比べられるかもね。だから、アルゼンチンのナンバー1はいったい誰なんだい?それをまず決めなさい」と、これまた牽制していた。
でもペレの言葉はある真理をつていている。たとえ映像が残っていても、その時の臨場感が伴わなければ彼等のスーパープレーの興奮は半減する。17歳のペレがスェーデンの58年ワールドカップに出場し、決勝のスウェーデン戦で胸トラップで相手DFを交したあと、ボールをもう一人のDFの頭上を通し、シュートしたゴール。ヨーロッパの地でもぎ取ったW杯が何を意味するのか、当時を生きた人間の言葉を聞きたい(ヨーロッパの代表チームはヨーロッパ大陸以外で優勝したことはない)。
80年初頭、フォークランド紛争でイギリス艦隊にアルゼンチン軍は壊滅された。国民が失った自尊心をマラドーナがイギリスのチーム全員を抜き去って決めた(8人抜いたとか数える必要はない、一人で相手チームを葬った)あの奇跡のゴールで復活させた、これは私だってわかっている。
この二人が王様や神と言われるのは技術的な面はもちろん、さらにサッカーという枠を飛び越えて、その背景にある歴史、文化に大きな影響を与えた。また二人が先進国の出身でないことも大きな意味を持つ。ペレはアフリカ諸国で神同様に崇められており、マラドーナは中南米で解放者のように慕われている。そんな純真な人々に「いや、××の方が上だよ」と言うナンセンスな輩にはなりたくない。
ペレが活躍した時代、黒人選手への差別は強かった(同時期にムハマド・アリがボクシング界で台頭し、様々な人種差別と戦っていた)。マラドーナに関しては、さらにナポリというセリエAで最下位を争っていたチームを2度のスクデットに導いている。これはミランで10度優勝するよりも価値あると思う。私がセリエAに一番熱中したのもこの頃だった。二人は最高のプレーヤーであり、時代の英雄でもあった。
ただ、悲しいかな。あと50年経って、ペレやマラドーナを生で観た人達がいなくなれば、この世界一議論も終わるだろう。そのころには、新しいプレーヤーが取って代わっているに違いない。悲しい反面、そうであってほしいとも願う。
フッチさん、こんにちは
私が初めてペレのプレーを映像で見たのは
2本のハリウッド映画だったりします。
1本は炎のストライカーという映画ですが
凡庸な映画のなかでペレがボールに触るシーンだけが
生き生きしてました。
そのタッチのやわらかさを見たとき、ペレが称賛される理由が少しわかりました。
マラドーナの映像はビデオもありますのでそのすごさは
よくわかりますね。
サッカーは一人でやるもんじゃないので比較対照にならないと思うんですけども、世界一議論はひょっとしたら二人を直に見て来れた世代の方々の楽しみなのかもしれませんね。
こんにちは。私は、マラドーナとペレ、両方とも来日したゲームを観たことがあります。しかし、マラドーナはまだ若い時、ペレは引退直前のプレー、どちらが優れているかを比較することは出来ません。ただ、テクニックのエレガントさでは、ペレが上のように思います。
jumpinさん、
私は子供ながら「勝利への脱走」を映画館に観に行きました。
シルベスター・スタローンがゴールキーパー役でペレと共演してましたね。イヤハヤ…
二人がヘッドでボールを渡している映像を見て(どうしても、直リンが見つからなくて残念です)、感動しました。
ペレとマラドーナのどっちが上かという水かけ論だけは避けたく思い、文章を書きました。
でも、本当に今の時代にプシュカスやディステファノ、フォンテーン、ブラジル国内ではフリーデンハイヒ、レオニダスなど言う人は皆無なのが現実ですね。私も観たことないでので、コメントしようがありませんしね。
Masatoさん、
それは凄い!ペレの来日試合ですよね、それに79年のワールド・ユースでしょうか。
今日のブラジルの新聞(オ・グローボ紙)では、私の好きなコラムニスト、カラザンス氏が「ペレとマラドーナがテレビで注目を集めたんだ、フーン…でもガヒンシャが一番だからね。58年W杯のブラジル×ロシアを観ればいい、俺の言ってることがわかる」と相変わらずの独自視線を披露していて面白かったです。
映像が無いことは大きく影響しますね。でも、映像ひいてはマーケティング・マネーが絡んでいないからこそ、天然のスーパースターが生れた、と捉えることもできますからね。
南米2大サッカー大国の英雄2人の夜
昨日の深夜にとんでもない番組が放送されました。寝てるところを起こされてまだうとうとしてましたが、TVを見たらすぐに目が覚めました。
 …
こんばんは。(現地夜8時)
Goalyです。
自分のブログのエントリーにも書きましたが、あの番組生で見れました。
夜11時からスタートだったのがきつかったです。
ところでこの番組って日本で放映されてました?
Goalyさん、
こんにちは〜
頑張ってますか?
番組生で観れてよかったですね。
日本では放映していません(私の知る限り)、
私は一応、観れる環境にありますが、生では観てませんよ。
まあ、面白い記念イベントでしたね。
こんにちはー。
ペレかマラドーナか、確かに50年後にどう語られているかわからない話ですが、今現在この二人について語れることをいいことだと思いましょう(^^)。
サントスで来日した時の記憶は残念ながらおぼろげにしかありません。NYコスモスで来日した時や日本での引退試合?たしか釜本も出ていた、の記憶があります。マラドーナーは、ワールドユースの時と、その後の南米選抜で弟と一緒に来日した時のプレーを観ました。昔のブラジルは、今よりもっと「ブラジル」していましたね。今ほど欧州との交流がない分、らしさが出ていたと思います。
そうっすね、
いま、アルゼンチンのマスコミは17歳のメッシをどうしても、
マラドーナ二世に仕立て上げようと躍起になってますが、
どうでしょうか。
素晴らしい才能を持った選手を潰しかねないとも思いますが。
Masatoさん、
そうなんですか、まるでサッカー史の「生き辞典」ですね。
日本にいながら、そこまで観てるとは。
セレソンに関しては、私の記憶では82年の敗北(とそれに続く2度連続のW杯敗退)が分岐点だった気がします。
昔は66年(イギリス大会)の敗退が70年の理論的セレソン(当時はそう呼ばれていたそうです)を産んだらしいです。
でも、02年前回の3バックセレソンもそうですが、ブラジルは毎回W杯で新しいことに取り組む凄まじいチャレンジ精神をもっている国だと自慢してます。
過去の栄光にあぐらをかかないから、V5なんだと。
マラドーナ、ついに自白
* 神の手ゴールは故意
日経新聞8月25日朝刊紙面に、有名なマラドーナの「神の手ゴール」に関する面白い記事を発見。神の手ゴールといえば、1986年のワール…
はじめまして。
素晴らしいブログありがとうございます。
これからもちょくちょくチェックさせて頂きます。
早くこの番組日本で見たいですね。
respect!
netprofessorさん、
お褒めの言葉ありがとうございます。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。