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PostHeaderIcon 孫子とセレソン

W杯イヤーシーズンが開幕しつつあるブラジル。国内の各クラブがしのぎを削ってチーム作りをしているなか、セレソンも始動した。
今週、仕事始めに「Wカップを獲りにいく」と宣言したブラジル代表パヘイラ監督が記者会見をした。監督として最後のW杯に挑むパヘイラはどこか威風さえ漂う表情で、W杯にのぞむ心境を語り、なかでも前任者フェリポンから受け継いだ必勝の書『孫子の兵法』についてコメントした。
(前エントリーでイングランド代表エリクソンをけなして、こちらでパヘイラをヨイショしてます、ハイまこと)


『孫子の兵法』、ブラジル版のタイトル『A Arte da Guerra ? Sun Tzu(戦さの芸術?孫子)』はかつてナポレオンが愛読したり、何百年も前から西洋で読まれている。フェリポンは02年W杯の試合前ブリーフィングで『兵法』の箇所を選手たちに読み聞かせたという。
たとえば、フェリポンが好んで話したのが「勝つべからざる時は守り、勝つべき時は攻めなり」だという。ドイツが攻め上がってくれば、体裁かまわず、ひたすら守れ。守りきったあと、こぼれ球をロナウドかリバウドにつないで、チームが一丸となって攻めろ、といった感じだろうか。
フェリポンから孫子を引き継いだ“パヘイラ軍師”がいうには「今回のW杯、各国は結託してブラジルの連覇を阻止しにくるだろう」。指標とされる立場にいて相手の攻めをどう受けて立つか、ブラジル固有の挑戦だ、といった。そのために彼は、あらゆる影響、知恵、過去の書物の研究もいとわない。(バレーボール代表チームのベルナルジーニョ監督からもアドバイスを受けている)
実はパヘイラの監督としての原点はヨーロッパ、ドイツにある。彼は70年W杯でザガロ監督のもとフィジカル・スタッフとして従事したあと、監督になるべく、74年W杯を優勝したドイツの代表監督ヘルムート・シェーンのもとで学んでいる。ブラジル国内ではヘッピリ腰と呼ばれるほど前例を見ない徹底した守備への意識は、このとき磨きがかかった。
セレソンではCBまで攻撃参加したってかまわない。ルシオがボールを持って駆け上がるとき、あっしなんか身震いがする。彼がボールを失おうが知ったことじゃない。そんな世界一攻撃的なプレーヤーたちをしたがえるのが守備思考のパヘイラだ。このギャップは何年ものあいだ、本当に不思議な歪みを生み出してきた。だが、それもあと5ヶ月で終わる。パヘイラが有終の美を飾ろうと、昨年ごろから少しずつ攻撃的な思考に妥協しつつあるのはわかっている。
何はともあれ孫子は面白い、前からブラジル・サッカーのスタイルを中国思想にあてはめて見たかったから、ここで孫子の名言を使って、ちょっくらやってみよう。
「彼を知り己を知れば、百戦してあやうからず」
名言中の名言。ブラジル・サッカーの伝統を理解し、それを背負っている自覚があれば、自らのスタイルに疑問を感じることはない。あとは相手のサッカーを見抜き、いかにして封じるかだ。
「百戦百勝は善の善なるものにあらず、戦わずして敵の兵を屈するは、善の善なるものなり」
これは、サッカーでは一見不可能に見えるが、つまり、ピッチに立つ前にすでに心理面で勝っていること。セレソンの強烈なスタメン・リストを見て、相手チームが戦意を失ってくれれば…でも、いまのサッカーでは、あまり考えられない。
「必死は殺され必生は虜にされる」
これは、ドリブルに例えられる。強引にドリブルしようとすれば、あまり成功しない。かといってドリブルをせず、無難なパス回しに逃げれば、いずれボールはカットされる。そぶりをみせず、フェイントで相手を抜くのが良い。
「死地に陥れて然る後に生く」
“背水の陣”と同解釈。これが、パヘイラにとって性格上、最も難しいところ。DFを薄くして、相手に点を入れられるリスクを犯してまで攻撃できるか、どうか。そのような状況、たとえば後半35分で1点差で負けているとか、になってみないと分らない。むしろ、相手にこれでやられることが充分考えられる。
「およそ戦いは正をもって合い、奇をもって勝つ」
これはフェリポンが最も得意としたやり方だった。正当法で敵とがっぷりと組み合いながら、ひょんな奇策で勝つ。02年ではロナウド、リバウド、ロナウジーニョ(とデニウソン)たちのイマジネーションを存分に生かした。あのセレソンは見た目以上に強かった。
「よく戦う者は、不敗の地に立ちて敵の敗を失わざるなり」
これがパヘイラのもっとも得意とすること。絶対負けない体勢・戦術をとり、敵のミスを待ち、そこを突いて勝つ。だが、そのおかげで“へっぴり腰”のレッテルを貼られた。
「用いるも之に用いざるを示せ」
できるけど、できないフリをする。ここらが妙味。クロス中心の空中戦や、カテナチオばりの守備固め。随所で使用できれば無敵だ。世界クラブ選手権で来日したサンパウロFCなどが良い例だった。
「疾きこと風のごとし」
これはロナウドにあてはまる言葉。正確には「疾きこと風のごとし、遅きことデブのごとし」と付け加える。ロナウドほど神秘的な選手はいない。
ほかにも孫子は古来から共通する戦さの条件:大義名分、費用、利益、智将の条件などについて述べているが、巨大なプレッシャーのもと戦われる今のW杯に通ずる知恵ばかりで、パヘイラが引用するのも分る。
あっしは個人的には老荘思想の方が好きだが、今の天下のセレソンにはあまり当てはまらない言葉が多い。老子はむしろ、セレソンが負けたときの戒めの言葉としてはまる気がする。「無用の用」(アレックスをつれて行っとけばなあ)とか、「滅ぼすには、より大きくすればいい」(名声が異様に膨らんだ今のセレソンが負けるとき)。
いずれにしても、サッカーと中国思想を組み合わせるのは面白すぎる。
仙人は無限の頂にいた
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