お兄ちゃんの夢
先週、地上波であるサッカー番組を見ていたら、サッカー通で知られる芸能人が言った言葉がすごく引っかかった。と、即座に過去の記憶が蘇った。
詳細はぼんやりとしているが、80年代も終わる頃、我がインテルナショナルの試合を観ていたときだった。相手は宿敵グレミオ、これがGre-Nal(グレ・ナウ)と呼ばれるブラジル最南部のクラシコだ。
テレビにかじりつくようにインテルを応援していたのだが、試合が進むに連れ一人のグレミオの選手が気になりだした。
その選手はまさに中盤で試合を支配していた。トラップが上手く、絶対ミスってボールを取られない。いつも前を向いて仲間の動きを判断し、パスを出すかタメて、チームの攻撃の緩急を司っていた。なんといっても、決定的なプレーを演出しながら、守備をおざなりにしないポジショニングに理想的なミッドフィルダーの姿が見てとれた。
「こんな上手い選手がグレミオに出現したんだ、インテルもやべえなこりゃ」と内心思った。それから友達とサッカーの話をしても、「近いうちにセレソンの10番を背負うヤツがいる」とライバル・クラブの選手なのに、自慢げに?豪語したもんだ。
すると、みんな口を揃えて「誰なんだ、そいつは?」と聞く。あっしは「アシスだよ、グレミオの」と答える。即座に「そんな訳ねえじゃん」と否定されたが、あっしにはそんなことはどうでも良かった。
グレミオ時代のアシス(Assis)
当時のセレソンの10番は覚えてないが、中盤は元グレミオのヴァウド(またはバウド、Valdo、90年代にグランパスにもいた)に、バスコのジオバンニがいて、前線にはロマーリオがすでに君臨していた。
そもそもグレミオの中盤を注目するようになったのは、80年代前半にこのヴァウドが出現してからだった。下がり気味の指揮者ヴァウドがボールをもらって反転するときの華麗さ、美しさは衝撃だった。現在セレソンのゼ・ロベルトのプレーはヴァウドに似ている。そんなヴァウドよりもアシスの方がさらに破壊力があった。
アシスについて、詳しく調べてみると、71年生れ。父はグレミオのホームグランド、エスタヂオ・オリンピコの守衛をやっていたという。子供のころから、サーカスの曲芸のようなボール扱いで、すぐにグレミオの育成部に入団。16歳でプロ契約。クラブでは何十年に一人の逸材として即トップチームのレギュラーに昇格。
プロ契約と同時期、イタリアのトリノから勧誘を受ける(グレミオ側はトリノがアシスを騙してイタリアに連れて行こうとした、と今でも言うが)。グレミオはやむをえずアシスの年俸を押し上げ、家族に豪邸を与えて何とか留まらせた。
89年コパ・ド・ブラジルを優勝。しかし、そのあとヒザの故障で、1シーズンを棒に振る。さらに不運が重なり、クラブに与えられた豪邸のプールに父が転倒し死亡。ヒザの怪我の影響で、幾多のトラブルを抱えながらも91年12月には念願のセレソン入りを果たす。だが、92年には国内の檜舞台を離れスイスのチームへ移籍。
後のアシスのコメントでは「まだ21歳でトップリーグでないスイスへ行ったことが、自分のキャリアの最大のミスだった。私にはセレソンを背負うポテンシャルがあったが、あれで、すべてから遠ざかった。しかし、父亡き後の家族の経済事情を考えて、やむおえず下した決断だった」
若くしてヒザに爆弾を抱えてしまい、「稼げるうちに、稼がないと」といった判断を迫られたのだろうと思っている。
それでもスイスではアイドル的存在としてサポーターに愛され、95年にはポルトガルのスポルティングでも脚光を浴びた。だが全盛期のアシスにセレソンからのお呼びかかることはもうなかった。98年にはなんと、Jリーグのコンサドーレに移籍。その後、メキシコ、コリンチャンス、フランスを転々とし、02年にまだ31歳で“スパイクを脱いだ”。
スポーツの世界で成功した選手たちと、できなかった選手たちの差は紙一重と言われる。類い希なる才能を持ち、セレソンで活躍が有望視された選手も昔からゴマンといる。アシスの夢は実現しなかったが、あっしは彼の成功を信じていた一人だった。
そんなアシスもいまは彼と同じようにサッカー選手になった弟のマネージメントをしていることで有名だ。死んだ父に代って弟の面倒も見なくてはならなかった現役のころのアシスだったが、死ぬ前の父の言葉「アシスよりも弟の方が上手い」のとおり、アシスは弟に大きな才能を見出し、自分が経験した数多くの失敗を繰り返さないよう、周到な計画で弟のキャリアをマネジメントしてきた。
おそらくブラジル・サッカー史でも、これほど計画的にマネジメントされた選手は他にいないのではないだろうか。弟の成功の影に兄あり。アシスの血と汗と涙の延長に、ついに成功があったことをあっしは嬉しく思う。それに、その弟選手が言うには「私よりもっと上手いのが甥っ子、アシスの息子」だそうだから、どうやらアシスの仕事はいつまでも終わりそうにない。
それで冒頭に戻って、その芸能人が言った言葉が「お兄ちゃんが日本でプレーしたからなんやねん、弟が来なくちゃあ…」、だった。テレビでサッカー通を演じるのも大変なんだなあ。
まあでも、おかげで過去のことをちゃんと整理することができた。今回はお兄ちゃんがメインだから、弟の名前は言う必要はない。
アシスの夢は現実となった!ちなみに、これが「アシスの弟」だ
「ボクの夢は、お兄ちゃん!」
はじめまして、kobo natsuさんのところにオジャマしている(一応)サッカー好きのものです。
彼のことは今のマネジメントのお仕事の方で知っていました、母国にいたときは相当な選手だったんですね?
お子さんがまたスゴイだなんて宝庫の国ですね。欧州ばかりに視線がいってしまうので勉強になります今後ともよろしくお願いします。
フッチさん 今年も宜しくお願いします
その番組 僕も見ました
兄や”神”の弟の話には僕も!!!!!!・・・・
開いた口がふさがりませんでした
いぜんアシスの息子がTVに出てました
弟は言ってましたね「僕より上手いやつがいるんだ」って。
あの時の弟の嬉しそうな表情は忘れられません
futebolが好きなんだな?
BRASIL 次から次へと凄い選手が出てくる理由がわかるような気がします。
はじめまして、ふじっぴーサン。
koboさんとは懇意にさせてもらってます。
あっしは、とにかく思い込みでガーッと書いてしまいますので、コメントしにくい面もありますが、いつでも好きなこと書いてもらって結構です。
弟のプレーゾーンと兄のそれが被らないので、いま弟を観ていても兄を思い出すことは無いんですけど。それでも、ブラジル・サッカー史、グレミオの歴史に名を残した選手に違いありまさせん。まこと
KENBOさん、今年もよろしくお願いします。
そうそう、たしかにその番組でした。いきなり、ムッときたあっしのリアクションを想像ください。ヘヘ
“あちらの神の弟”については予備知識が無いのですが、アシスは本当に記憶に残る才能でしたからね、聞き逃せませんでしたよ。
そういえば他には、ジーコの兄エドゥ(日本代表コーチ)も60年代後半はセレソンに登りつめた有名な選手でした。あっしは彼のプレーを観たことないですが。ソクラテス&ライーは周知ですね。
そうですか、アシスそんなにいいプレーをする選手だったのですか
ロニーも日本にこ(ry
お兄ちゃんの息子そんなに上手いんですねー!お姉ちゃんにも男の子がいれば楽しみは3倍増しですね。
兄貴がセレソンに選出されていたなんて知りませんでした。どの試合だろうと探してたら、エルネスト・パウロのセレソンのウルグアイ戦にビスマルクと一緒に名前が出ているのを見つけて、何故か嬉しくなりました。
芸能人は芸能だけやってて欲しいです。
アシスはそこらそんじょの選手ではありませんでしたよ。まこと
flavanchaさん、
別に地上波の番組をバッシングするつもりはなかったんだけど、いまや世界的にみても「お兄ちゃん」としての認識しかないから、あっしなりのオマージュでした。
ビスマルクとアシスは同世代でしたね。二人は90年または94年のW杯に出ていてもおかしくなかった。
良い写真見つけましたので、追加でアップしときました。
じ?ん・・・感動的。てかさすが文章上手すぎますね。
尊敬というか、勉強になります。
委員長さん、久しぶりですね。
なんか、お褒めの言葉を頂きまして、有り難うございます。
インテル・ファンがグレミオのことを書くのは容易ではありませんでしたが(心の葛藤が…)、アシスの記憶をまとめておきたかった。
1999グレミオ(H)ロナウジーニョ選手実使用Gremio Ronaldinho match worn
今回は99グレミオ(H)ロナウジーニョ選手実使用です。 ロナウジーニョ選手の出多地はポルトアレグレという ブラジル〓部の〓市ですが、そこを本拠地とするのが こ…
はじめまして
いつも楽しく拝見させて頂いております。
差し出がましく、TBとリンクに入れさせて
頂きました。
今日の記事は感動的でした。ありがとうございました。
また、拝見させて頂きます。
pndwithbサン、
こんにちは、どうも。
TB有り難うございました。
ユニフォームだけ扱っているブログも面白いですね。
こちらでも、リンクしておきます。
あるまじ@スイス滞在中です
昨日セレソンvs FC Luzernの練習試合をTVで見ておりました。
ハーフタイム中にロナウジーニョへの長めのインタビュー(録画)を流していたのですが、
インタビューアーがお兄ちゃん:ロベルト・アシスにも触れてました。
その瞬間ロナウジーニョの顔が本当に嬉しそうな笑顔になったのが印象的でした。
お兄ちゃんの現役(スイスリーグ)時代の映像もいくつか出てきました。
左足の見事なFKでのゴールとか。。
いやいや、フッチさんのこのエントリーをつい思い出してしまいました。。
あるまじサン、
えっ?そうだったのですか。観てません、それ。
この前のNHKの特番でも、兄とロナウジーニョがパス交換してましたが、お兄ちゃん、背中でパスしてて、絶句しました。
どうやら、当初アシスはロナウジーニョをスイスに連れて行ったそうですね。お父さん亡くなったばかりだから。
まだ、10才前後のロナウジーニョを、そのスイスのSIONていうクラブの関係者が見て、もう欲しがっちゃったらしいのですが、
やっぱり、「ママがいい」って、ブラジル帰っちゃったんだって、ロナウジーニョ。