Archive for the ‘ブラジル国内事情’ Category
Internacional ! Internacional !
インテルナショナウ!インテルナショナウ!インテルナショナウ!
ぼちぼち、やり直そうか
<スイマセン、我がインテルの優勝祝いと前後してしまいましたが、このエントリーは8/13に書いたものです>
姿をくらませていました。
1ヶ月以上、サッカーのことを考えないで過ごしていました。
今年はW杯が終わるまでの期間、あまりにもサッカーだけに没頭していたから、余計なことを考えないで、なおざりにしていた日常のいろんな小さなこと、楽しいことをもう一度、見なおしていました。
忘却のクラッキたち
人々はなぜ、過去のクラッキたちと、今のクラッキたちを比べたがるのだろう。
過去はクラッキたちの宝庫だ。
ただ、本当に彼等と時代をともにし、彼等を愛し、そのプレーに心酔したなら、彼等を格付けする必要もないだろうに?と、あっしは思う。
これはまた、ブラジルの“サッカー伝統主義者”たちの意見であり、その考えを代表するコラムニストの一人がオ・グローボ紙のフェルナンド・カラザンスである。
そこで、今回は、勇気を出して彼のコラムの一部を翻訳してみた。ただ、著作権に触れるから、引用という形で、全文は掲載できない。向うのサッカー・ライターの考えに触れるいい機会だと思う。
ヘシフェのクラッキ
今回は観光の話から入ります。
ブラジルで最も美しい海岸都市のひとつ、北東部の都ヘシフェ。
こんな美しい街からも、クラッキは出現する。
テレ・サンターナ – 「復活」
さあて、いよいよ「テレ・サンターナ追悼」を締めてみよう。
テレ・サンターナが90年にサンパウロFCの監督に就任したとき、クラブは州選手権で2部落ちしたばかりの憂い目にあった。テレ自身も、低迷したビッグクラブの指揮を執るリスクにためらいを隠せなかったらしい。
チームの再建のために全権を任せてくれるというフロントの熱意にしぶしぶ3ヶ月の試験期間を設けて承諾したらしい。決め手となったのは、クラブが郊外に有する広々としたトレーニング・センター(CT)だったらしい。テレは契約日の早朝、トレーニング用のグランドに行き、芝生を触りながら、その状態を確認していたという。
テレ・サンターナの残した物
テレ・サンターナの悲報を聞いたとき、走馬燈のように、テレが指揮したチームが次々と頭に浮かんだ。テレ・サンターナはあっしのサッカー観戦人生において、あまりにも大きな位置を占める。
まず最初に浮かんだのが、はじめてテレ・サンターナのチームを観たとき、79年のパルメイラス。このチームは78年W杯メンバー、FWジョルジェ・メンドンサを要していたスーパーチームだった。
テレ・サンターナ逝去
“ワールドカップは優勝するためにある大会じゃない、世界最高のサッカーを魅せるためにある”
“最高の称号を手に入れたければ、相手が誰だろうと、前にいけ、攻撃するんだ。”
テレ・サンターナ、2006年4月21日午前、没世。
あっしらの世代にとっては、永遠に記憶に残る最高の監督。
フッチボウ・アルチ(芸術サッカー)とは何か、美しく強くプレーすることは何かを教えてくれた“すべての父”。
ブラジル・サッカーの美が伝承されているのも、この人によるところが大きい。
引退してから、はや10年以上。いま、雲の上の人になられた。
「なぜブラジルは良い選手が生まれるのか?」
いやあ、MASATOさんのコメントから、当タイトルの質問を頂いたのですが、返事をしていたら、長々と書いてしまったので、エントリーにしちゃいました。
“何故ブラジルからあんなに素晴らしい選手が、湯水の如く次々出て来るのでしょうか?
サッカーが盛んな国は、ブラジルだけではないですよね。また身体(運動)能力は、ブラジルと比べてヨーロッパもっと言えばアフリカだって劣っているわけではないですよね(もちろんサッカーは身体能力だけでやる物ではないですが)。”
ブラジル好きならブラジレイロンだろ!
ラモスの昔のコマーシャル「日本人ならお茶漬けだろ!」にちなんだタイトルです。
別に怒ってません。でも、悲しいかな、今年もやっぱりブラジレイロン(ブラジル全国選手権)の放映は無いのね。
街はブラジルの情報で溢れているというのに。
負けたあ…
インテル、州タイトル逃す。
決勝戦でグレミオ相手に引き分け。アウェーで0-0、ホームで1-1、
アウェーゴール方式で優勝カップは憎きグレミオへ。グアッ