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サッカーはお国柄をもっとも反映するスポーツだと言われる。今日の朝日新聞のオピニオン欄に日本サッカー協会会長川渕三郎のコラムがあった。日本サッカーの向上のために最も精進している川渕会長の意見には全体的に合意するが、いくつかの点では賛成しない。


コラムでは、川渕会長は一部のJリーグのチームは“相手がボールを持つと全員がハーフウェーラインまで引いて守備が始まる。悪い言い方をすると選手が楽をしている”と書いている。ハーフウェーラインまで引いて守るということは守備的な戦術をとるということであり、選手が楽をすることとは関係ないと思う。会長が理想とするヨーロッパの有名リーグでも、それぞれのチームはホームでは攻撃的に、アウェーではまさに引いて守るという二通りの戦術を使い分けているのである。この使い分けを完璧にこなしたのが、今年の前半に前回CLを制したFCポルトであある。当時の監督のモウリーニョはいまイギリスのチェルシーで指揮をとっており、堅実すぎるスタイルに地元ファンの批判を受けている。
次に川渕会長は“ボールを競ったときにわざと倒れてファウルを誘う選手もいる。倒れたら主審の顔をみて「ファウルをとって下さい」とジェスチャーする。こんなことは国際試合では通用しない。”と書いているが、フッチ・ブログは国際試合で通用すると思う。会長が気にしているのは、Jリーグのクリーンなイメージ。セコイ手を使って勝てるようなゲームだと観客に思われたくないというマーケティング面だろう。だが、サッカーはそうでない場合もある。簡単に言えば、弱者が強者に勝つとき何らかの奇策を使う。
1986年W杯のアルゼンチン×イギリス戦のマラドーナのハンド・ゴールを良しとするか否か。日本の選手が同じことをやればどうなるか、日本のサポーターはどう反応するか、これは冒頭で言ったように正否ではなく文化の問題である。
だから日本のサッカー関係者がポルトガル語のマリーシア(ずる賢さ)という言葉をサッカー用語として頻繁に引用するのも、何か違和感がある。なぜなら日本のサッカー文化はマリーシアとはかなりかけ離れているから。例えが飛躍するが、“沖縄は日本のラテンだ”といった文句にも同じような違和感をおぼえる。ひょっとして気温が高いせいなのか?黒潮文化とラテン文化にはそれ以外の共通点はないと言いたい。
コラムでは川渕会長もマリーシアという言葉に肯定的な解釈を示しているが、マリーシアとは時には相手選手を再起不能にしてしまうような激しいタックルにもしゃあしゃあと使われる。冷静な駆け引き、騙し合い、これがマリーシア、これがラテンである。映画「ゴッド・ファザー」のマーロン・ブランドが命を狙われている息子をイタリアからニューヨークに連れ戻すために、他のマフィアのドンに脅しをかけるシーンがある。あれがラテンだ。
その点、コラムで川渕会長がイギリスのプレミア・リーグの”スピーディな展開のおもしろさ”を引き合いに出したのは、ある意味正解だ。イギリス・サッカーもマリーシアのかけらもないスタイルだから。ひたすらに、直線的にボールを追い掛け、ボールを自分のものにしたら、すぐさまクロス、でなければクロス、と見せかけてクロス。いまどき、アーセナルというチームが50戦近く無敗でいられるリーグは、そのチームが真に強いことの証明でいいのか、それともリーグのレベルが全体的に低いことの証明ではないのか。フッチ・ブログには何とも言えない、プレミアにはあまり面白味を感じない。
フッチ・ブログが言いたいのは、日本のサッカーはどこぞの国のスタイル、戦術をさほど重要視するべきではない、日本は日本人ができるサッカーを追い求めるのが一番だ。たとえセコくても、短足で鈍くても構わない。ヨーロッパ選手の体格までは真似できなのだから。

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