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PostHeaderIcon お正月映画「マラドーナ」

昔はお正月といえば、映画が流行りましたね。

ビデオデッキが流行る前の話。お年玉をもらって、綺麗な洋服を着て、家族で街にくりだして。

買い物と食事を楽しみながら、映画館でくつろいだ。

 

あっしもそんな風習を懐かしく思い、今年のお正月は久しぶりに映画館に言って参りやした。

ちょうど、興味をそそる映画が公開されていましたのでね。

その名も『マラドーナ』、監督はボスニア人のエミール・クストリッツァ(55歳)。


勝手にサブタイトルを付けさせてもらうと「-真に愛されるフットボリスタについて-」なんてのは、どうかな。


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マラドーナはブラジルサッカーを語る上でも、外せない人物だ。

なにせ、彼が燦然と君臨した80年代半ばから90年代前半まで、ブラジルも苦汁をなめされられたからね。あの時期ほど、アルゼンチンに水を空けられたと感じた時代は無かったかもしれないし、そのおかげでブラジルは次の世代の天才たちに可能性を託すことができた。





しかし、ハチャメチャな映画だったな。最初の映像から、この映画の監督クストリッツァ自らが、どこかのステージに立ってロックギターを弾こうとしていたり、意図がつかめない…

 

で、いきなり、あの86W杯の因縁のイングランド戦、そして、あのスーパーゴール。映画では「世紀のゴール」というタイトルで、最後まで、ひっきりなしに現れる。たしかに、何度観てもすごい。スクリーンで観るとなおすごい。でも、陳腐なサブリミナル手法はやめてくれ。

 

映画ではマラドーナが革命家という位置付けで、アメリカやイギリスの支配と戦う最後のドンキホーテのような画が作られている。あのチェ・ゲバラやフィデル・カストロにも劣らぬ革命家扱いだ。そんな政治的プロパガンダ臭を”ファブリーズ”させるために、随所にマラドーナの過去のプレー集が散りばめられる。

 

とくにナポリ時代のゴールが懐かしかった。絶頂期のマラドーナがセリエAという世界中で放映されはじめていたリーグで、ミランやインテルやユベントスといった北部の強豪相手にやりたい放題やっている姿は、いまなお観ても痛快だ。当時、セレソンのFWカレカが彼の相棒を務めていて、二人はサーカスのようなツートップだった。


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そしてガツーンと衝撃的なのが、マラドーナがそのナポリの街を2005年に再び訪れたときの映像。マラドーナの滞在するホテルの前に集まった群衆の熱気、雄叫び、賛歌。永遠に愛されるサッカー選手とはなにか。その情熱の映像を目の当たりにして、あっしも感動を抑えきれない。

 

映画はさらに、貧しかった子供時代と、彼のドラッグ使用の話へと進む。マラドーナが貧しい頃の母のことを話したとき、そして、自分の幼かった娘達との関係を話したとき、こっちはまたしても、涙を抑えきれない。妻の皺だらけの顔。神マラドーナの家族もまた、その名声の大きさに匹敵するほどの大きな悩みを抱えていたのだ。麻薬中毒者のいる家庭の声に出せない苦悩がそこにある(映画の撮影はマラドーナがコカインをまだ使用していた時期から始まっている)。

 

最後に自ら「コカインをやっていなければ、もっと長くプレーできた。もっと多くを成し遂げられた」と後悔する。あたりまえだ、この野郎。コカインやってプレーするなんざ、狂気の沙汰だ。普通の人間なら、ビールを飲んだだけでもサッカーはできない。

ラストシーンで屈託なく踊るマラドーナ。やりたい放題で、どうしょうもないマラドーナ。でも、ありのままで、美化する必要のないマラドーナ。すべてを経験し、常人の及ばない境地に到達し、生死の境までをも体験した。あ、そうそう、もう少しでアルゼンチン代表をW杯予選落ちさせるという経験まで作りかねかった男。


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映画の中にマラドーナ教というのが出てくる(「D10S」という表示を掲げて)。でも、マラドーナは神なんかじゃない、人間くさすぎる(こっちだって、せいぜい「王様」どまりなんだぜ)。「人間くさすぎる」…最高の賛辞だと思いません?

 

神様はマラドーナにありえないほどの境遇を用意した。南米の大都市のみずぼらしい一角、逃れられない貧しさ、フォークランド戦争(映画ではマルビーナス島と呼ばれる)、国家の敗北、破綻した経済、サッカー市場でのヨーロッパ支配のはじまり、イタリアの南北格差、世界を飲み込んだコカイン汚染。そんな時代のうねりのなかで、英雄にのし上がったフットボリスタ。すべての星が奇跡的に彼の頭上に集結した。


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あのマラドーナがワールドカップに戻ってくる。

8 Responses to “お正月映画「マラドーナ」”

  • スブッラ says:

    マラドーナ監督苦しんでますね。アルゼンチンは前線はいい選手は多いんだけれども、他は人材が枯渇していますね。
    ”特に中盤にいい守備と攻撃ができる、デコのような選手がいない。たぶん憶測ですが、ヨーロッパ市場の需要に合わせて、アタカンチかボランチの2タイプしか”生産”されなくなったせいかも。”

  • トンペイ says:

    マラドーナ・・・・・
    1986年はすごかったけど2011年の澤に比べると完全に色あせますね

  • futblogger says:

    トンペイさん、澤にえらく入れ込んでいますね。
    マラドーナは衝撃的だったけど、その存在がメッシに取って代わられるかもですね。
    いまの小さな子はマラドーナって誰?ってな感じでしょう。
    かつてペレ世代とマラドーナ世代がそうであったように…時代は回るんですね。

  • トンペイ says:

    スイマセン(T_T)やはり入れ込みすぎですね。無礼でした・・・・・
    女子でも日本サッカー初のナショナルヒーロー(ヒロイン?)ですから。小さくてもタイトルを一つとれてやっと日本サッカーも首が坐った・・・・新日本プロレスを立ち上げたときどんなにしょぼくても看板となるベルトを欲しがったアントニオ猪木の気持ちがわかる!
    本屋に行っても20世紀のサッカーを総括する本では必ずマラドーナが表紙です(しかもドアップ)。凄い・・・・今世紀の終わりにはネイマールかメッシが表紙になっててもそのころには僕は生きてないw
    同窓会でクラブやってる友人の子供に別の友人が「メッシとCR7どっちが好き」と聞いて「うーんメッシ」とか答えてましたね。スーパーを見てもメッシのユニフォームを着ている子供の多いこと。ネイマールもぼちぼち来るかな?

  • futblogger says:

    ここのところバルサの試合をほとんど観ていますが、メッシのコンディションあまりよくないですね。今日もまた筋肉系の怪我をしたようです。
    昨年半ばぐらいから、試合中あまり走らなかったのは、そのせいかもしれません。これまでが凄すぎたから…ちょっとロナウド的なキャリアのたどり方をするのかも知れません。
    問題はメッシはW杯をまだ獲っていないこと…マラドーナもロナウドも獲りましたからね。
    ロナウドは二度、ペレに関しては三度。
    百年後も語られるには、やっぱりW杯は欲しいですね。
    たとえ無くても、もうサッカー史上最高のショートスペース・ストライカーで間違いないと思います。

  • トンペイ says:

    プラティニやファン・バステンはW杯を取ってないですけど歴史に残ってますね、彼らにはユーロがある。ディ・ステファノもCLがある。この三人は歴代ランキングでひとけたに入っている。ジーコがこの三人にさほど劣っているとは思えない。こう考えてみると欧州人は自分たちだけの大会に価値を見出すのかもしれないですね。
    W杯で優勝といえばブラジルもしくはマラドーナ(アルゼンチンではない)という畏怖の念が欧州人にあるのかも。そういう意味ではペレはミスターワールドカップ、W杯で優勝というともう彼のイメージが圧倒的。
    そして南米人はコパアメリカが矮小化したせいでどうしてもW杯で優勝しないといけないというノルマ、ハンデがある、特にジーコの不当に低い評価は悲惨です。でも昔のコパアメリカを見たらロマーリオ、ベベット対マラドーナっていう凄いカードがあったのに・・・・
    そういう意味でいったら日本がサッカー史に足跡を残すのには五輪でメダルをとるほうが近道かもしれない。

  • トンペイ says:

    サイモン・クーパーのブラジルに関するコラムでこんなのがあります。
    「来年のW杯ブラジルは最低でもベスト8にはいくだろう。そこから先はあと3つ勝てばいいだけだ。どんなに下馬評が低くても優勝の確率は高い」
    日本に言い換えると
    「ロンドン五輪、日本男子はベスト4までいった。そこから先はあと2つ勝てばいいだけだ。優勝の確率はある」
    もしリオ五輪か東京五輪で地元の利を活かして金メダルをブラジルより先にとれば・・・・・
    女子がタイトルを一つとって世間の目を一変させたように男子も今の段階ではどんな形でもいいから世界一のタイトルを狙うべき時期かもしれない。
    ソ連やハンガリーだってW杯は取れなかったけど五輪はとった。
    カタールやロシアでやるW杯がこれからずっと権威を保てるとは思えない。
    来年のW杯で勝機の薄い戦いに無駄にこだわるよりも以降の五輪で頂点を狙うプランをねるべきではないかと思います。

  • futblogger says:

    トンペイさん、すいません。またしても、時間を空けてしまいました。
    今回のW杯抽選会について別エントリーで書いてみました。

    私の意見では、各大陸の大会や五輪大会については、W杯の下にある大会としてしか考えにくいですね。ジュールリメによって想起されたW杯の歴史を見れば、それは明です。W杯はスケールが違います。他の大会はW杯のモデルを踏襲しているに過ぎないと言えるでしょう。(ただし、いまのチャンピオンズリーグは別世界ですね)

    ファン・バステンのオランダが当時のユーロを優勝したからって、その後のW杯で優勝できていないからには、少なくとも南米にとっては正直、あまり意味がありません。あの80年代のユーロは見ていましたが、衝撃かと言うと、はっきり言って、南米には勝てないな、という感想を持っていました。ユーロもコパアメリカも排他的な大会なんですね。

    先のロンドン五輪を優勝したメキシコチームもその後マスコミにものすごく持ち上げられましたが、フル代表になると、同じ世代にも関わらず、今回の北中米予選でなんと5位(!)に終わりました。大陸間プレーオフで辛うじて参加できましたね。

    ま、そんなことで、いまW杯を前に考えられるのは、W杯がサッカーの頂点に君臨するのだ、と。これを獲らずして、サッカー王国を語れないなと、つくづく思います。

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