久々に、復活
いやあ、お久しぶりです。いよいよ、世間もオリンピックモードに突入ということで、あっしも、重ーい腰をあげることにして、エントリーを書いてみました。
これを書いているいま、すぐそこ、国立競技場で日本五輪代表×アルヘンティーナ五輪代表の試合がはじまりました。
すぐそこ、って、そう、すぐそこ、目の前のテレビ画面はもちろん、日本国内で、リケルメ、アグエロ、マスケラーノたちがプレーしている。
とくに、リケルメはリベルタ杯のボカ戦以来のお披露目で、見れるだけで、嬉しい。
アルヘンティーナといえば、最後の五輪勝者、つまりディフェンディング・チャンピオン、そして、今回もっとも金メダルに近いチームだと思ってます、ハイ。
って、さっそく、ブラジル・ネタから、大きくそれてしまいましたが、セレソンだって、幸運にも五輪に参加できるわけで、いま、シンガポールか、ベトナムかだかで、調整中だってさ。なんで、日本に来ないのよ。実のところ、よく知らん。
?パンダは中国だけではなかった、客寄せパンダは…
これが久々となる本エントリーのサブタイトル:パンダ、つまり「客寄せパンダ」に関しては、Made in Chinaどころか、Made in Brazilに注目。その名も、ロナウジーニョ。
(景気づけに、パンダの写真をどーん!)
巷のスポーツ記事では「ブラジル、悲願の金メダルに向けてロナウジーニョを招集」と騒ぎ立てるけど、実際は、オーバーエージ枠でありながら、かつ所属クラブから必要とされていない希な選手、それが、いまのロナウジーニョってわけです。もちろん、そのポテンシャルが炸裂すれば、チームを優勝に導くだろうけど。けど、現実はそんなに甘くないときもある。
ロナウジーニョのケースと対称的なのが、アルヘンティーナ代表のメッシの不在でしょう。(メッシがいれば、国立も確実に満席だったのに)。メッシは23歳以下にもかかわらず、FIFAの命令にもかかわらず、バルセロナから五輪行きを許可されていない。
メッシのケースからもわかうように、実は、世界中のクラブは、いかなる条件においても、五輪に選手を貸し出す義務はないということ、道義的な義務はあっても、法的な義務がないのね。
セレソンに関しては、ジエゴとハフィーニャが、それぞれが所属するドイツクラブの命令を無視して、つまり反乱を犯してまでも、五輪代表に合流している。「なんという愛国心」と考えたくもなるが、ジエゴのケースに関しては、クラブと仲違いしても、彼には移籍のオファーが絶えないらしく(とくに、チャンピオンズリーグの予選を通過するであろう、複数のクラブ)まさに、確信犯的な行為。そんなことで、たぶんジエゴは、メダルはさておき、この五輪で活躍するでしょうよ。
で、結局何を言いたいのかというと、サッカーに限定していえば、オリンピックの金メダルの意義は、どこに行ってしまったのだろうか、ということ。名前を聞いたことも無い選手たちや、すでに大金を稼いでいて、自分の進退や、クラブとの折衝が心配な選手たち、それに「客寄せパンダ」たち。あまりにも、チグハグな仮装行列のような大会。ほかのスポーツ、たとえば、日本が得意とする水泳や柔道などは、いま存在する最高のアスリートたちが一斉に集まるというのに。
もちろん、セレソンにとっては悲願の金メダルという目標があるけど、こんなFIFAからもきちんとサポートされない大会で、それが、いったい何の証明になる?もちろん、優勝できなければ、“迷将”ドゥンガの最後の大会になるのは間違いないようだけど。
だから、いっそのこと、どこか伝統国でないチームが優勝すれば、それはそれで、オリンピック精神の象徴として喜ばれるかもね。