最近のコメント

PostHeaderIcon ワールド・サッカーの天才去る

今月の元オランダ代表監督リヌス・ミケルスの死はブラジル・サッカー界でも大きく取り上げられた。
周知のとおり、リヌス・ミケルス監督はオランダ代表チームを率いて1974年ドイツW杯大会で惜しくも決勝でドイツに敗れたものの、空前のセンセーションを巻き起こした。このときのオランダ代表が披露した戦術は全ての選手が特定のポジションに留まらず、全員で一斉にボールを奪いに行き攻撃に転じるという、後にトータル・フットボールと名付けられた斬新なものだった。
このチームは世界中で「時計仕掛けのオレンジ」と呼ばれ、ディフェンディング・チャンピオンだったブラジルとは同W杯の準決勝で相見え、2-0で圧勝している。


この敗北はブラジル人にとって衝撃であった。70年代の栄光のセレソンを引き継いだ74年W杯のチームはペレ、ジェルソンやトスタンなどが代表を退いたものの、ヒベリーノやジャイルジーニョが健在で優勝候補の筆頭とされていた。
当時の映像は現在ビデオで簡単に入手することができる。試合内容はオランダがブラジルを圧倒し、ニースケンスとクライフの得点で勝利している。当時の監督ザガロ(またもや)は敗北後、オランダ・サッカーの研究を怠った、ということでブラジルのマスコミから非難され、代表監督の座を後にしている。
ミケルスの死について尋ねられたザガロは当時を振り返ってこう語っている。
「あのW杯ではスタッフにちゃんとオランダ・チームの偵察へ行かせたんだ。すると彼はオランダの各選手の動きをノートに書いてきたんだが、それはもうグチャグチャの線が紙のフィールド全体に無造作に散らばっていた絵だった。“ザガロ監督、オランダのチームはつまり素人の草サッカーのようなものです”なんてぬかしていたが、私はちゃんとオランダの凄さを分かっていた。ただ止められなかっただけだ」
これは現ブラジル代表テクニカル・ディレクターによる最高の賛辞だといえる。W杯を優勝しなかった3大チームは54年大会のハンガリー、74年のオランダそして82年のブラジルだとされる。優勝しなかったからこそ、この三つのチームは永遠にサッカー・ファンの心に記憶されたのだ。
大会の3日前に考えついた戦術で、22日間を戦ったミケルス監督のトータル・フットボール。全ての選手が連動して動く近代サッカーの先駆けとも言われるが、ミケルス監督自身ですら二度と再現できなかった(ミケルスは再度オランダを率い88年のユーロ・カップを優勝している)幻のチームだった。
brasholanda.jpg

Leave a Reply