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PostHeaderIcon 「愛の終わり」byリケルメ

器の大きな選手が批判を受け続けるとどうなるか。
リケルメはとうとうアルゼンチン代表を去ってしまった。強い意志をもつ彼の決断とくれば、引退表明はおそらく決定的なことなのだろう。
チームの柱、最もクリエイティブな選手が良いプレーができなかったり、大会で良い結果を残せなかったときは、マスコミを筆頭に周囲の人々から攻撃される。ブラジルの場合はロナウド、ロナウジーニョ、日本の場合だって中田、中村が今回のW杯でヤリ玉にあげられた。
とくに、チームの真ん中でボールを受け取って、配給する役割を担う、いわゆる司令塔タイプの選手は大変だ。前にも書いたが、リケルメのスキルに関しては何も文句のつけようがない。近年現れたアルゼンチン・プレーヤーでもピカイチの展開力、キープ力。クラッキの風格。
しかし、なぜか本人にとって、そしてアルゼンチン・サッカーにとって、不運にもリケルメは批判にさらされる運命にあった。アルゼンチンを出てヨーロッパに渡ってからは、まるで「魂の平穏を追い求める遍路」のような経過をたどっている。
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リケルメの略歴に関しては、ウィキペディアなどを参考にして、次のとおり:
1978年サン・フェルナンド生れ。Argentino Juniorのユースで育ち、96年ボカ・フーニオルスとプロ契約、同年、アルゼンチン・リーグでデビュー。97年には、かつてマラドーナの着たクラブの10番を継承し、同年にはA代表初選出。また97年はワールドユースでも優勝。アルゼンチン・リーグは3度優勝(アペルトゥーラ2回:98年00年、クラウスーラ1回:99年)。
2000年、2001年は南米リベルタドーレス杯優勝。2000年にトヨタカップで初来日、レアル・マドリードを下して優勝。01年にもトヨタカップで再来日。
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リケルメがマケレレをぶっちぎる
02年には鳴り物入りでバルセロナに移籍するも、スペイン一年目でチームを牽引するほどの活躍はできない。翌年、ライカールト監督とロナウジーニョの入団の煽りをうけて(非ヨーロッパ国籍選手枠からはみ出てしまう。というよりも、絶対にヨーロッパ国籍を取ろうとしない)チームから追い出される形に。
03年からビジャレアルに移籍。ここではチームの中心選手として、ようやく落ち着いてプレーできる環境を得る。しかし、ビジャレアルの歴史的な快進撃となった05年のCLで、ベスト4のアーセナル戦セカンドレグ、ロスタイムで得た劇的なPKをレーマンに止められ敗退。
A代表では、04年にユース代表時代の恩師ペケルマンがA代表に就任するや、アルゼチン代表の中心的選手に。しかし、ここでリケルメの波のあるパフォーマンスに不満の声が上がり始める。
06年W杯でも、初戦のコート・ジ・ボアール戦で素晴らしい活躍をしたあと、徐々にペースが落ち、最後のドイツ戦では途中交代させられるハメに。
国中の批判を受けるのはたやすいことではない。リケルメの言葉では「母が僕の悪口を聞いて、もう2度も入院した。国も大事だが、家族が一番大切」。確かにね。
セレソンにもリケルメと似たタイプの選手がいた。いまフェネルバチェにいるアレックスという選手。調子が乗っている試合では手が付けられないが、そうでないときは、1試合まったく存在感なしでいることもある。肝心なときに消えてしまう、とサポーターたちから嫌われる。
あっし達サポーターは安易に選手を批判したがる。あっし自身はまったくそう。ロナウジーニョを批判しながら、リケルメのケースをみてハッと我に返る。選手は頑張った、だが観る側は自身のフラストレーション(サッカーだけに起因するとはいえない)を罵声で、ときには理屈で飾り付けて選手に、監督に、チームにぶちまける。
「僕一人で判断できることなら、一生、ボカだけでプレーしていたい」。バルセロナへの移籍が決まったリケルメはこう言っていた。この言葉で、いかに彼がセンシティブなのかがわかる。バルサからビジャレアルに移籍したときも、減給されることを意に介さなかった彼の姿勢に、ほんとに金のためにプレーしているんじゃないんだな、とあっしは実感した。
そんなリケルメにとって「国旗をまとってプレーすること」はどれほど重要だったのだろうか。重要すぎるほど、全身全霊を捧げ、「愛するが故に」(by浜省)代表チームの重荷に耐えられなかったのだろう。
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一生懸命、愛情をこめてやった、なのに、批判された、ダメ印を押された。誰だって、そんな経験あるはず。
新聞紙『La Nacion』に寄せられた読者の無数の投稿を読んでいて興味深かったのは、「リケルメの次は誰が「10番の生けにえ」になるのか?インスーアか、ダレサンドロか?どうせ、マラドーナのような完璧な選手が出てくるまで、人々は批判をやめないだろう。いや、ピッチ内で完璧な選手が出現すれば、そいつの私生活は破壊されるだろう」これが、アルゼンチンサッカーの悲しいタンゴなのか。
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昨年のW杯南米予選、「アルゼンチン3×1ブラジル」でのパフォーマンスは忘れない。はっきりいって、鬼のように凄かった。エリア前でボールを受けて反転、ホッキ・ジューニオルを振り切って、弾丸ライナーのシュート。GKジーダまったく間に合わず。「セレソンが大敗する?!」あんときほどパニクったことはない。それから数週間後のコンフェデ杯では、パヘイラ監督は「リケルメなら、ブラジル代表に居場所がある」と言っていた。社交辞令かなにかは知らないが、最高の賛辞だ。
話は変わるが、いまインテル・ミラノのアドリアーノが物心ついたときから愛したフラメンゴを去るとき「愛するチームでプレーするためにサッカー選手になった。でも、愛するチームのサポーターからブーイングされるなんて夢にも思っていなかったよ」と言っていた。
ジーコは06年W杯前に、優勝候補のブラジル代表と、彼の時代のセレソンとの比較を求められ、こう言った。「幸せという意味では、僕の時代のサッカー選手の方がそうだった。いまの若者たちはみな、金儲けのためにサッカー選手になるからね」。フラメンゴで名声を浴びはじめても、ジーコは父から「大学はいつ卒業するんだ?」と勉学を勧められていたそうだ。
サッカー選手にとって幸せってなんだろう。名声を得ること、大金持ちになること、サポーターに愛されること。リケルメの場合は、サポーターに愛されることが一番だったのだろうね。

683 Responses to “「愛の終わり」byリケルメ”

  • 琴由 says:

    はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいてます。リケルメの引退は、私には早すぎるとおもいますが、4年後へ向けての世代交代も考えてるんでしょうね。

  • フッチブログ says:

    琴由さん、どうも、はじめまして。
    アルゼンチン代表で一番好きな選手でしたから、オマージュです。
    W杯後はどこも、かしこも名選手が引退するものですが、年齢が理由でないところに、リケルメの引退表明には考えさせられました。
    彼にはビジャレアルで、まだいっぱい頑張ってもらいたい。

  • ドン says:

    お久しぶりです。隣国アルヘンから再びやって来ました。
    リケルメの件では、アルヘン・サポの間にも激震が走りましたが、意外なことに、おおむね冷静に受け止められている状態。それが私にはもどかしく、そんなに簡単に納得していいことなのかと憤懣やるかたなく、同じような国内事情を抱えているセレソンのフッチさんの意見を訊いてみようと来てみれば……
    リケルメへの心のこもったオマージュ、胸が詰まりました。
    もちろん(私も含め)ファンや批評家は選手のプレーに対して好き勝手なことを言います。でもそれは構わないと思うのです。ジャンルを問わず、仕事である以上は苦言や批判を受けるのは当然のことですよね。ファンの批判には愛情?もこもってることだし。
    但し、批判と誹謗中傷とはまるで別物!そこをごっちゃ混ぜにして、選手個人に対する暴力まがいの圧力が横行しているとしたら……サッカー大国の名が泣きます。
    ブラジルでもロナウジーニョの像が燃やされたという報道がありましたよね。オウン・ゴールをした選手が射殺された国も。南米サッカー、その光は眩しいけれど、影が暗すぎ、闇も深すぎでは。
    といっても、どうにもなることではないだけに、なお一層リケルメの決断には素直に納得できないのです。家族を大切にしたいという想いには、世界中の誰も異を唱えられないでしょう。
    が、しかし、本当にそれでいいのか、リケルメ?!
    不遇時代、「代表チームに戻れるなら、DFでも何でもする(ええっ、それは結構です…by サポ)」と言っていたリケルメ。今でも「代表のユニフォームを着れなくなるのは本当につらい」のに。母親にしても、息子の代表引退の原因となってしまったことで、却って苦しむことになるのでは?
    自分に対してならまだしも、家族までをも危険にする攻撃は察するに余りあるものの、それでも屈せず、ピッチの上で蹴散らしてやれ!と言うのは、もはや酷過ぎるでしょうか。
    リケルメならそれができる、乗り越えていける、それほど特別な才能・存在なのだと、彼を買いかぶりすぎていたのでしょうか。
    とにかく、プレー以外の理由から代表引退を余儀なくされた選手として悪しき前例になることはやめて欲しい。
    「母と一緒にマテ茶を飲んでゆっくり過ごす時間が好き」と言うけど、サッカー自体を辞めればそういう時間はいくらでも持てるってば(それも10年も先のことではない)。それより、今しかできないことをすべきでは?絶対に先で後悔するぞぉ!!
    それでも見放すどころか余計に気になってしまうのが、ファンの悲しい性なのでした。ジダンやフィーゴのように、前言撤回して代表に復帰!という限りなく実現可能性の低い期待を抱きつつ、とりあえずリーガで応援することにします…19位なんですけど。
    フッチさん、無愛想なリケルメをこれからもどうぞ宜しくお願いします。

  • フッチブログ says:

    ドンさん、
    隣国の悲しいニュース。あっしにも衝撃でした。
    >おおむね冷静に受け止められている状態。それが私にはもどかしく、そんなに簡単に納得していいことなのかと憤懣やるかたなく、
    たしかに、アルゼンチン国内でもそのようみたいですね。実は、リケルメを嫌う人々がそんなにいたなんて、はじめて知りました。まあ、仰るとおり、環境的にはセレソンも同じですが。
    >リケルメならそれができる、乗り越えていける、それほど特別な才能・存在なのだと、彼を買いかぶりすぎていたのでしょうか。
    そこですよね。今回も、色々なアルゼンチン・メディアを参考にしましたが、たしか彼には、パサレラ・ビエルサ時代に冷遇されている経験もある。クラブではあれだけ文句なしの実績を残したのに。
    それで、やっとペケルマン体制で中心選手になれたわけですが、それまで、結構、切ない思いもしてきたのだろううな、と。だから代表チームに対する思いも、複雑なものがあるのだろうな、と勝手に推察しました。
    ブラジルのケースでいえば、ジュニーニョ・ペルナンブカーノがそうかな。98年、02年のW杯に連れていかれなかった。それで、やっと02年で念願のW杯出場がかなって、その後あっさり、気持ちがふっきれて引退。まあ、彼の場合、年齢は30才ですが。ジュニーニョの実力については、いまさら言うまでもないですよね。
    代表で成長するのでなく、すでに考えがしっかりしてから代表入りした選手は、意外と長く代表に固執しないのかも。内外の状況がよく見えてるから。
    >とにかく、プレー以外の理由から代表引退を余儀なくされた選手として悪しき前例になることはやめて欲しい。
    つまりレドンドと同じですか。でも、どうなんでしょう?レドンドはいまでもアルゼンチン・サポーターに愛されているんですかね。そうであれば、いいですが。
    しかし、アルゼンチンで代表を辞退することって、すごい勇気いるでしょうね。サポーターに一生嫌われる可能性があるのは。でも、アルゼンチンの人々もそろそろ選手たちを背番号10の呪縛から解放してあげればいいのに、と隣国的な発想では思ってしまいます。
    だって、新しい才能が出る度に「マラドーナの再来」じゃあ、嬉しい選手ももちろん居るでしょうが、独自の個性をアピールしたい選手にとってはけっこう窮屈かも。
    まあ、その呪縛から解放されるのは、次にW杯を掲げるときなのでしょうね。ブラジルも24年かかった。

  • ヒロ says:

    彼を初めて見たのは97年ワールドユースでですが、アイマールとのコンビは素晴らしかった。
    優勝してアルゼンチンの将来は明るいなぁと思ったものです。
    でもアイマールがラニエリ、フローレスと冷遇され続けてからとうとう我慢できずにサラゴサに移籍。
    彼らほどの選手がなぜ冷遇されるんでしょうね・・・。
    なんだか寂しいです。

  • ドン says:

    フッチさん。本当にそうかもしれません。
    >代表で成長するのでなく、すでに考えがしっかりしてから代表入りした選手は、意外と長く代表に固執しないのかも。内外の状況がよく見えてるから。
    回りに犠牲を強いるプレースタイル( 補って余りあるものもあると思うけれど )を代表で押し通すことへの自問とか、才能ある後進たちへの世代交代とか……家族の事情だけではなく、そういったことも考えて自分ではきちんと納得した上での代表引退なのでしょうね。そう、ジュニーニョ・ペルナンブカーノもW杯後すぐに引退表明をして驚きましたが、CLでの大活躍とか、代表以外にも確固としたアイデンティティーが選手にはあるのだし。
    >サッカー選手にとって幸せってなんだろう……リケルメの場合は、サポーターに愛されることが一番だったのだろうね。
    それに加え、貧しいけれど幸せだったという少年時代にしていたように「気の置けない仲間たちとゲームを楽しむ」ことのようです、リケルメの場合は。これなら代表チームでなくてもできることだものね。
    貧しい少年時代を過ごしたリケルメにとって、家族の絆は何にも変えがたいものだというのも理解はできるのです。彼に限らず、南米の人たちは家族想いのようですよね。家族の殺伐とした事件が多い日本から見ると羨ましいほどです。
    が、それでも代表引退を受け入れ難かったのは、リケルメに一種のノブレス・オブリージュを押し付けていたのでしょう。親バカならぬファンバカで、特別な才能を授かった者はそれに見合うだけの責任を果たすべし、と。
    けれどフッチさんと話したおかげで、やっと気持ちの整理がついてきたように思います。有難うございます。それにしても選手から見れば、ホントとんでもない迷惑ファンかも(笑)
    そして他のアルヘン・ファン達よ、
    >もそろそろ選手たちを背番号10の呪縛から解放してあげればいいのに
    全くそうしようではありませんか。このままだときっと、『背番号10の呪い』とか、生まれると思うんですよね。10番を付けたが最後……、ああ恐い。(…レドンド…すみません、94年当時はR.バッジョに夢中でした & PK戦の怖ろしさを初めて知り、2006年 骨身に沁みました…天罰?)
    ただ、リケルメはリケルメで応援しつつ、これからも代表チームにはこだわっていきたいです。フッチさんも、まずはブラジルという国レベルでサッカーを捉えていますよね。(他国への辛口コメントも楽しくって最高!) それはつまり、自ら世界に踏み出すことそのもので……W杯にこれほど人々が魅了されるのも、世界を知り、かつ知らしめる楽しさゆえではないでしょうか。
    今回のようなアルゼンチン・サッカーのネガティブな面をも見据えてゆくのは気が重いですが、もう毒を食らわば皿まで、の開き直り状態。懲りずにゆきますので、今後ともよろしく☆アルヘンの24年目は2010年なんですよね、ふふふ。

  • フッチブログ says:

    ヒロさん、
    冷遇と言えば、ライカールトのサビオラに対するそれが一番、際立っているかも。
    アイマールに関しては、前々回のシーズンでは7回以上も怪我したらしいから、さずかに、監督も使えなかったような気がします。
    リケルメに関しては、彼の姿勢には「スジが通っている」気がします。彼自身、他のスタイルに適応したくない。そんな彼の気概が好きなんですが。

  • フッチブログ says:

    ドンさん、
    >回りに犠牲を強いるプレースタイル( 補って余りあるものもあると思うけれど )を代表で押し通すことへの自問とか、才能ある後進たちへの世代交代とか……
    ああ、そんなこともあるのでしょうね。
    >それに加え、貧しいけれど幸せだったという少年時代にしていたように「気の置けない仲間たちとゲームを楽しむ」ことのようです、
    ああ、まさにそれ。彼のスタイルには、そうした町外れの草サッカー場で戯れる「遊び」が見え隠れします。
    >が、それでも代表引退を受け入れ難かったのは、リケルメに一種のノブレス・オブリージュを押し付けていたのでしょう。
    そりゃあ、あれだけ才能があれば、押しつけたくなる。セレソンでもそう。でも、繊細な選手ほど、その重荷に耐えられないのでしょうね。
    >今回のようなアルゼンチン・サッカーのネガティブな面をも見据えてゆくのは気が重いですが、もう毒を食らわば皿まで、の開き直り状態。
    ネガティブな面を知ってこそ、真のサポ。毒を食らわば皿までです、まこと。
    >アルヘンの24年目は2010年なんですよね、ふふふ。
    やべえ。笑

  • hiro says:

    >今回のようなアルゼンチン・サッカーのネガティブな面をも見据えてゆくのは気が重いですが、もう毒を食らわば皿まで、の開き直り状態。
    ここまで頑なに応援スタイルを変えないのも凄いですよね・・。
    ドイツは90年代後半から女性にも見やすい環境作りに奔走しました。
    その結果老若男女色んな年代の方がスタジアムで見れるようになりました。
    しかし、50年後でもアルゼンチンだけは数多くの大人の女性が一緒に応援している風景を想像できない。
    熱狂と暴力がギリギリ(?)の所まで切迫しあっている雰囲気を楽しんでいる人もいるので「ネガティブ100%」とまで言い切れないんですけどね・・(汗)

  • フッチブログ says:

    hiroさん、
    やっぱ、そうなんですか。
    >熱狂と暴力がギリギリ(?)の所まで切迫しあっている雰囲気を楽しんでいる人もいるので「ネガティブ100%」とまで言い切れないんですけどね・・(汗)
    なるほどね、確かにそんな雰囲気ありますね。それが、流れによっては選手を取り巻く環境をネガティブなものにすることもある、ということでしょうか。今回のリケルメのケースのように。
    とはいえ、代表サポのみんなが100%過激派というわけでも無いような気がするのですが。一部の超熱狂的なサポーターの言動が目立つということなのでしょうか。
    >しかし、50年後でもアルゼンチンだけは数多くの大人の女性が一緒に応援している風景を想像できない。
    でも、各家庭のテレビの前では、老若男女が懸命に代表チームを応援している気がしますが。そういった一般的なレベルの応援で構成される世論のなかで「ネガティブな回帰思考がある」と思ったのですが、違っているのでしょうか。
    いかんせん、アルゼンチン固有の内情には精通していませんから、よく分かりません。

  • ヒロ says:

    >でも、各家庭のテレビの前では、老若男女が懸命に代表チームを応援している気がしますが。
    これはスタジアムの中の話をしたかったんです。
    言葉足らずで申し訳ないです(汗)
    仰る通り、テレビの前で老若男女が応援する姿がアルゼンチンサッカーの熱狂の象徴として日本でもたびたび見られます。
    ただ相変らずスタジアムでは暴動が起きていて2003年にはリーグ戦1ヶ月停止なんてものもありました。
    南米だけででは無く暴動自体は欧州でも問題になっているんですけど、暴動で試合がストップしたのを見たのはアルゼンチンが初めてです(苦笑)
    それによって「勝ち点没収」という罰を関係ない選手が受けているんだから何ともやるせないです・・。

  • フッチブログ says:

    おお、ヒロさん、こちらこそ、ちょっとツッコミすぎて、ソーリーです。
    あっしが一番知りたいのは、アルゼンチン・サポのどこらへんがリケルメへの批判を中心的に扇動したのか、なんですよ。だから、妙にこだわっちゃった。
    ああ、たしかに、リーベルとかボカのサポはブラジル来てもスタジアム壊しますね。でも、それは一部の“ウルトラス”だけと認識してます。
    世界のどの名門クラブにもウルトラスはいますが、あっしが一番嫌いな勘違い野郎たち。でも、彼等の意見が、アルゼンチンの一般観衆のなかで支持されたとは思えません。
    リケルメへの批判は具体的にどうまとまっていったのか、知りたいところです。

  • 匿名 says:

    >でも、彼等の意見が、アルゼンチンの一般観衆のなかで支持されたとは思えません。
    確かにアルゼンチン国内でもこういった行為への批判がかなり高まっているそうですね。
    でも一向にやむ事は無い。
    これは経済状況による不満が大きいのではと考えているので相当時間が必要なんだろうなと感じています。
    >アルゼンチン・サポのどこらへんがリケルメへの批判を中心的に扇動したのか、なんですよ。だから、妙にこだわっちゃった。
    自分もそこは気になっています。
    リケルメを生かすにはどうしてもリケルメ中心にせざるを得ないですよね。
    それが癇に障るリーベルのサポが「動きが遅い」「真剣味がない」と代表でプレーするたびに猛批判しているという話はテレビ、雑誌で見ました。
    その中で気になったのはベロンが「リケルメを中心に作るなんて無謀」とペケルマンを批判してから、何故かペケルマン批判からリケルメ批判の記事が物凄く多くなった気がします。
    まるで揚げ足をとるようなものが急激に増えた。
    これが未だに不思議でしょうがないんですよね。

  • フッチブログ says:

    そうかあ、リーベル筋がそうくるのは予想に難くないですね。
    まあ、あっしのようなニワカはここらへんにしときます。アルゼンチンの内情は、あちらの問題。
    こっちは、ブラジールの内情を深ーく、えぐろうか。

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