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PostHeaderIcon アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ

このいかにもブラジル人っぽい名前に、ピンときた人はきっとこの選手の大ファンに違いない。
あっしが、いま最も尊敬するこの選手はブラジル人ではない…しかし、ブラジル人だった。


いま最も素晴らしいミッドフィルダー、現代のプレッシング・サッカーで守備と攻撃の両方を司ることのできるモダンで理想的な選手?アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ、通称「デコ」。1977年8月27日、サンパウロ市郊外、自動車産業で賑わう町サンベルナルド・ド・カンポ生れ。
彼の生い立ちを詳しく述べよう。デコの家族は、彼が2歳のとき、サンパウロ州の田舎にあるのどかな町、インダイアトゥーバに引っ越す。物心ついたときから、デコは家の前の道路で、裸足のまま仲間たちとボールを蹴っていたという。
実はデコのプレーにストリートの面影をありありと感じている。それは、ロナウジーニョやホビーニョのようなトリッキーな美技ではなく、小さなスペースをチョンチョンと使って囲みを打開していく。トラップをわざと浮かして、ポーンと囲みを上から超えていったりと、おそらく幼児期に備わった抜群の空間認識力のおかげだ。
9歳から近隣の都市、カンピーナスの少年チームに入団。ここでもう、今と同じポジション、フィールドの真ん中に君臨するミッドフィルダーだった。同年、地元のプロチーム、グァラニにスカウトされ、15歳まで所属。
ここから心機一転フットサルに転向する。それからの数年、デコは地元のフットサル・チームで活躍し、やがて給料を払ってくれるサンパウロ州内の名門フットサルチーム、パルメイラスやポルトゥアリオス(ホビーニョも所属した)などを転々と移籍したそうだ。
96年にまたフルグランド・サッカーに復帰、サンパウロ市に古くからあるナシオナルのメンバーとしてU21エイジの登竜門「コパ・サンパウロ」で活躍。翌年、名門コリンチャンスのユースチームに移籍し、97年の同大会で準優勝。
この年、20歳のデコは一旦コリンチャンスのトップチームに昇格するも、コリンチャンス側はデコにあまり興味を示さない。デコは名門クラブでチャンスを待つことを選ばず、代理人の支持でブラジル北東部アラゴアス州の無名クラブ、コリンチャンス・アラゴアノに移籍するも、同州の選手権に参加するために、CSAにレンタルされる(ここらへんの流れが、いまいち不可解)。
CSAにはたった40日ほど在籍しただけで、その才能を買われデコはポルトガルの名門ベンフィカに移籍する。当時のCSAのトレーナーの推薦状には「いずれ、セレソン(代表チーム)の一員になれる能力を持つ」と書かれていたそうだが、皮肉にもその代表チームはブラジルではなかった。
こうやって97年の1年間は4つのクラブを渡り歩いたデコだったが、ベンフィカと契約できて、やっとドサ周りから解放されたと思われた。だが、ポルトガルに行ってみると、ベンフィカは関連クラブとされる2部リーグのアウベルカにデコを登録する。
しかし、ここからがデコの見せ場。ポルトガル移籍早々の97?98年シーズンでアウベルカの1部昇格に貢献。シーズン終了後、ベンフィカに飼い殺しにされないために、同リーグ一部の中堅クラブ、サウゲイロスに強引に移籍。そして翌シーズン99-00に念願のビッグクラブ、FCポルトの一員となる。ベンフィカのフロントはこの失敗をどう自覚したのだろうか。
ポルトでは99年3月にデビューし、5シーズンにわたって在籍。とくに02年早々に移籍してきたモウリーニョ監督が合流してきてからの2シーズン(02-03/03-04)で国内リーグ(2回)、カップ、UEFAカップとチャンピオンズ・リーグのすべてを総ナメにした。ただし、よく「モウリーニョのポルト」と言われるが、このころからデコを見始めたあっしには、むしろ「デコのポルト」を強調したい。
デコが活躍するにつれて、ポルトガルの人々からは「帰化して代表入りしてほしい」という声もあがりはじめる。そして02年W杯後にブラジル人監督ルイス・フェリペ・エスコラーリが就任したこともあり、デコは03年3月ポルトガル国籍を取得し、ポルトガル代表でデビュー。
ポルトガル代表のユニフォームを着て最初に対戦した相手は、なんと祖国ブラジル。ここで、後半に投入されたデコは決勝ゴールをあげ、2-1でセレソンを下した。
それでも当時は代表チームのリーダー格ルイス・フィーゴの「帰化選手の代表入り反対」声明や、一部のファンからの反対の声などが話題になったが、翌年2004年のユーロカップでポルトガルの準優勝に貢献し、とうとう周囲から認められる。このときもデコは、大会のはじめはルイ・コスタの控えに甘んじていたが、徐々に中盤の要の選手として信頼を勝ち得、最後にはレギュラーの座をものにした。
当時を振り返って、デコはブラジルのマスコミにこう述べている。「ポルトガル代表入りしたのは、自分にすべてを与えてくれた、この国に恩返ししたかったから。それに、フィーゴやどの代表選手とも仲いいし、マスコミが騒ぎ立てるような問題はまったくない。だから、ポルトガル代表になって後悔したことはない」
もうひとつある逸話は、デコが帰化する前、セレソンのパヘイラ監督が「デコはセレソンは無理だ」と言ったとされる。昨年、バルセロナで行われたチャリティー・マッチに招待されたパヘイラ監督はデコに直接会いにき「すまない、実は君のことをよく知らないでマスコミに話してしまった」と謝ったそうだ。知ってれば、招集されていただろうか、これはブラジルのサッカー・ファンのすべてが一度は考えたことのある疑問だ。デコのスタイルを持つ選手はいまのセレソンにはいない。
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ユーロ2004直後に、ロナウジーニョが待つバルセロナに移籍。実は幸いにも、デコがチームに合流したジャパン・ツアーの練習を見に行ったことがある。ツアーでは怪我の治療中でプレーしなかったデコだが、練習場の片隅で、一人で黙々とリフティングしていた彼に何か強烈なものを感じた。
04-05シーズンのリーガ優勝に貢献したデコ。バルサのど真ん中にドーンと存在して、守備では飽きることなく相手選手を追い掛け、必要あれば猛然とスライディングする。そして、いったんボールを奪うと、自陣の深いところから、いとも簡単にボールをはたいて供給しながら、攻撃を組み立てる。
そしてセンターラインを超えたところから、一気に攻撃のアーティストに変身。ロナウジーニョ、エトオ、メッシといった個性派それぞれに見事に合わせながら、自らも相手エリア内に切り込む。バルセロナ強しといえども、デコのいる試合といない試合では随分、チームの連携の質が違う。
バルサのご意見番クライフからは「04-05シーズン優勝の立役者はロナウジーニョではなく、デコだ」とまで称賛されたほどだ。ロナウジーニョとの比較でも、ヨーロッパ・タイトルの数でいえば、圧倒的にデコの方が実績がある。
もともとあっし個人が一番好きな選手はファウカンだから、創造的なボランチを観るのが好きだ。才能あるプレーヤーたちが嫌がる、泥臭い追っかけプレーができ、怪我を恐れずスライディングにいき、そのうえ、チームの攻撃を組み立てることのできる選手なんかそうそういない。いまのセレソンにもいない。
もしも、ランプの魔神が現われて、あっしをプロ・サッカー選手にしてくれる、と言えば、デコのような選手になりたい。
いまW杯前のデコは、所属チームでも代表チームでも、サッカー選手のすべての夢を達成できる位置にいる。そして、子供の頃からコリンチャンス・サポーターだったというデコにとって、もうひとつの夢は、いつかコリンチャンスでプレーすることだという。
「バルサとの契約は32歳までなんだ。その後、コリンチャンスでプレーしたいな、とも思う。ポルトガル人になっても、心はいつまでもブラジル人だからね」
デビュー時から、数え切れないほどの逆境をはね返して、とうとうトップ・プレーヤーの称号を手に入れたデコ。その経験に満ちたバックグラウンドが醸し出すプレーは、本当に味わい深い。
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「天才を見せつけるのではないが、ただ人々を勇気づけるような、そんな素晴らしい存在だ」

232 Responses to “アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ”

  • KENBO says:

    フッチさん いつもこちらを覗いて新しいエントリーがあると
    もう嬉しくて、嬉しくて笑。
    今回はアンデルソン・ルイス・デ・ソウザ『デコ』ですか!
    デコ すっかりバルサのイメージが強くて、ブラジル人だったこと忘れがちになってしまいますが れっきとしたブラジル人なんですよね。
    彼がポルトガルに帰化して代表になったとき
    ここまでの選手になるとは思ってもいなかったですし
    そもそもどんな選手なのか あまり知らなかったです。
    しかししかし こんな良い選手が・・・
    もしもブラジルに残って、セレソンの一員に選ばれていたら
    どんなチームになっていたのか 観てみたかったなぁとバルサのデコを見るたび感じてしまうのはカナリヤイエロー好きなら誰でもそうなのではないでしょうか?
    いぶし銀・玄人好み=デコ よくフットボールをわかっていらっしゃる方は皆 デコが好きだと言いますよ!
    NUMBER PLUS バルサ特集にもデコのインタビューが載っていますね

  • フッチブログ says:

    KENBOさん、こんちは!
    あっしこそ、KENBOさんがコメントしてくれると嬉しいですよ!
    デコについて、ずっと前から書きたかった。だって、KENBOさんの言うとおり、誰もここまで来るとは思ってなかった選手だから。
    デコのストーリーこそ映画にする価値がある気がしますねえ、マジで。ポルトガルでは自伝が出ているそうですが。
    デコがセレソンに入れば、カカとゼ・ホベルトの両方ができますから、フォーメーションを変えられる可能性高し。
    まあ、ここは鬼軍曹フェリポンに裁量を任して、ポルトガル代表でのデコの使い方を見守ろうじゃありませんか。
    デコは世界のどのチームでもポジションを得ることができますね。

  • flavancha says:

    デコ最高の最高の最高です!!
    キャリアの最初を思うと考え付かないですけど、すっかり「勝者」のイメージ付いてるなあと思います。
    ぼくはバルサファンなので、デコにはバルサで引退してもらいたいです。そして、若い内から、バルサの監督になってもらいたいです。
    パヘイラは、プレーを見てなかったんですね。もったいない。

  • MIKA says:

    初めまして。最近閲覧させていただいている者です。
    デコの記事に思わず食いついてしまいました(笑)
    昨年、横浜でのバルサの試合を見に行ったのですが、ロナウジーニョがいなかった分(?)デコが足裏テクなどいつもより魅せるプレーで楽しませてくれました(^-^)
    本当に素晴らしい選手ですね。
    今のバルサの心臓だと思ってます。
    ポルトガル代表としての活躍も見守りたいと思います。
    突然失礼しました。
    今後とも楽しみに拝見させていただきます。

  • フッチブログ says:

    オッス、flavanchaさん!
    これまで色々とバルサの事について書いてきましたが、
    ここで、あっしがの一番好きな選手がデコだということを、
    カミングアウトしたわけです。
    デコの将来について、どうなるか分かりませんが、それはバルサの栄冠の上に築かれるものには違いないです。
    あっしの今の理想のプレーヤーは「ロナウジーニョ+デコ」ですから、バルサに関しては、かなり安泰な気がしますね。いいなあ…
    と同時に、セレソンはせっかくの機会を水に流した。これも王者のおごりでしょうか。次のW杯で明確になります。

  • フッチブログ says:

    MIKAさん、コメントありがとうございます。
    デコの話、気に入ってもらって良かったです。
    一見、地味なプレーヤーですが、技術はとてつもなく凄いと思うし、仰るとおり、色んな状況に対応できる柔らかなスタイルですよね。
    昨季からバルサには欠かせない存在には違いありません。
    とにかく、ここまで来るのに幾多の苦難を乗り越えてきたことを知ってももらいたかった。

  • 匿名 says:

    うんうん!!!
    何度も頷きつつ、かつ「そうなのかー」とデコの今までの長い道のりに
    思いを馳せつつ読ませていただきました!
    どこかで読んだけどバルサのプレイヤーで統計を採ると
    一番ファウルをしているのも受けているのもデコなんだそうですねー。
    そしてファルカン!!!
    ローマ時代や82ワールドカップでのプレイしか見ていませんが。。
    何をやっても華麗だったからなー。
    (アルゼンチン戦でジャンプしてヒールキックでクリアしてパスに繋げたりってありましたよねー)
    あんなボランチはもう出てこないんでしょうか??
    (フッチブログさんはレドンドなんかはどう評価してました??)
    是非、今度はインテルナショナル時代のファルカンのこととか語ってください!!!
    でも
    >もしも、ランプの魔神が現われて、あっしをプロ・サッカー選手にしてくれる、
    >と言えば、デコのような選手になりたい
    なんですよねー。うんうん!!納得です!その気持ち!

  • あるまじ says:

    ↑ 失礼しました。先のコメント投稿者「あるまじ」でした。

  • フッチブログ says:

    あるまじサン、デコの話、気に入ってもらえましたか。
    先のベンフィカ戦、ボール受けるたびに、凄いブーイングを受けてましたねえ。デコを2部に行かせとおいて、それはないだろうと、あっしは思いましたが。そのブーイングこそが、デコにとっては賛辞だったのかも。
    それで、ファウカンですよ…あまりにも感情的になって、書けないんですよね。不思議なんですよ。
    言えるのは、あっしがこの目で見ることができた、最高の選手です。ファウカンがピッチの真ん中にいるとき後光が見えた。
    ファウカンは泥臭いプレーしてるときも、華麗な闘志というか、特別なモノを感じさせてくれましたね。生まれつきのリーダー、チャンピオンです(残念ながら、監督としては、ご存じ成就しませんでしたが)。
    嬉しいことに、ファウカンはいまでもブラジル国内の「歴代イレブン」アンケートで不動のボランチです。
    そう、それでレドンド。こんなこと書くとアルゼンチン・ファンから怒られそうですが、ファウカン引退後、レドンドがもっともファウカンをイメージさせてくれた。
    それに、ファウカンがもっとパワーアップした感じで、ライカールトも。
    「創造的なボランチ」=いまでは矛盾とすら言える、いや、絶滅危機に面していると言えるほど、この手のプレーヤーは出てこないスねえ。

  • あるまじ says:

    なるほど。。
    やっぱりブラジルでも「歴代ナンバーワンボランチ」なんですねぇ!
    で、レドンド!やっぱりそう思いますか?
    どんなに泥臭いえげつないプレイしてても
    華麗に見えるところなんかまさにファルカンっぽかったですよね?(笑)
    ファルカンと違って利き足左一本のボランチでしたけどね。
    怒られることはないでしょう。
    当人が自分のアイドルかつモデルはファルカンだって公言してましたから。
    ライカールトはプレイヤーとしてもさることながら
    現在の監督としての活躍もプラスすればNo.1ってことになるのかな?

  • フッチブログ says:

    あるまじサン、
    いやあ、レドンドの件、初耳です。
    >当人が自分のアイドルかつモデルはファルカンだって公言してましたから。
    てっきり、アルディレスの系譜かと思っていました。それは、光栄ですねー。
    記憶では、レドンドは代表チーム入りを拒否したあと(理由は知りません)、大怪我したため、W杯では日の目を浴びなかったですよね。もったいない。
    ファウカンに関しては、、「ボランチ」という言葉自体、彼のために考えられたポジション名だと、あっしは解釈してます。中盤の底でチーム全体を操るプレーヤー。
    そんな前代未聞のプレーヤー、ファウカンは誰に感化されたんだろう?ちょっと調べないと。
    ライカールトはボランチの役割をさらに進化させたというか、あの体の強さに、突破力とインテリジェンスでしょう。そのうえ、監督でも大当たりですか。
    ライカールトは人柄が良い。テン・カーテのサポートを自然に受け入れているように見えるし。オランダはいい人が育ちますねえ。
    つまり、彼らは偶然でも何でもなく、ブラジル、アルゼンチンとオランダという超伝統国で生まれるべくして、そうなった産物といっても良いでしょね。

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